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山本 聡哉 騎手(岩手)

2012年12月26日

2009年度に49勝、2010年度は68勝、2011年度も68勝。リーディングでは10位圏内を争うあたり......だったのが、今シーズンは既に117勝、リーディング2位を競り合うまでに伸びてきた若手がいる。山本聡哉騎手だ。

今年伸びた騎手は......と訊ねれば、盛岡なら齋藤雄一騎手、水沢ならまず山本聡哉騎手の名が挙がる赤丸急上昇の若手騎手。

そして、同騎手は盛岡所属の山本政聡騎手、船橋所属の山本聡紀騎手と三兄弟で現役騎手という、なかなか希な存在でもある。

今回はそんな注目株の山本聡哉騎手にお話を伺った。

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横川:農業の町・葛巻町出身という事で特に競馬とは関わりがなかったそうですね。

山本:実家が畜産もやっていたんで将来の仕事は動物系かな......とか思ってはいましたね。でも競馬はダビスタをやるくらいで。父親が"身体が小さいなら騎手だな"とか言っていたんですが、それもまあ冗談半分だったはずです。

横川:そこから騎手になろうと思い立ったきっかけはなんだったんですか?

山本:ひとつは兄(山本政聡騎手)が騎手を目指す、と競馬学校に入った事ですね。小さい頃から結構兄のあとをついていく弟だったんですよ。小学校の頃は野球をやっていたんですがそれも兄がやっていたからで。兄が競馬学校で騎乗している姿を見て"ビビッ"と来ましたね。"騎手になろう"って。

横川:「テシオ」の読者ハガキを送ってくれたよね。お兄さんも送ってくれてたけど、兄弟で"騎手を目指してます"って書いて来た時にはびっくりしました。

山本:当時はもうホントに"競馬ファン"でしたからね。最初は兄が買っていた「サラブレ」とか「テシオ」とかを見ていたんですが、中学校の時の担任の先生も競馬が好きだったんですよ。日曜日に社会見学と称して盛岡競馬場に連れて行ってもらったりして。その頃は忍さん(村上忍騎手)が好きだったんで、忍さんばかり見つめてましたね。「テシオ」はプレゼントが当たったんですよ。渡辺さん(渡邉正彦元騎手)と小野寺さん(小野寺純一元騎手)のピンバッチが当たって凄く喜んでました。

横川:その頃はどんな楽しみ方をしていたんですか。

山本:ノートに騎手の成績とかプロフィールとかを調べて書き込んで......。憧れの対象ですよ、もう。今でもなんか凄いなって思う時がありますよ。あの憧れだった人たちと一緒にレースで戦ったりプライベートで遊んでもらったりするんですから。

横川:基本的には競馬ファンなんだ?

山本:そうですね、ファン、おたく......。競馬が好き。そして馬っていうよりは騎手が好きですね。どんな乗り方をするのか、どんな人なのか興味深くて。中学生くらいの頃は騎手になるという事自体がスゴイ事だと思っていましたから、騎手になった自分がパドックを回ったりレースに乗っているのを想像して"そうなったら凄いな"って。だから兄がデビューして騎手になったじゃないですか。そんな憧れの騎手たちと一緒にパドックを回っている。一緒に生活をしてるんだ......と想像すると、兄が"凄い"って思った瞬間でしたね。

横川:さて、自身が騎手になるために教養センターに入りました。その頃は順調だった?

山本:入った当初は騎手になるってどんな事なのか分からない部分もありましたが、いざ始まればそんな事を考える暇もないくらいのめり込んでいきましたね。基本馬術の時は身体が小さい事もあってたいへんでしたが、競走騎乗をやる頃になったらだいぶ自信がついて来ました。

横川:そして騎手としてデビュー。兄弟で戦う日が来ましたが......。

山本:今だから言える事ですが、最初の頃は正直辛かったですね。同期の悠里(高橋悠里騎手)が先に活躍しているのに自分はレースに乗れない日もある。がむしゃらに乗ってがんばらないと、どんどん取り残されていくような感覚になって。このままでは自分が騎手をやっていたかどうかすら印象が残らずに終わってしまうのでは......と悩みました。

横川:そんな頃に高知の全日本新人王争覇戦で優勝しました(2007年)。

山本:本当にしんどい時期だったので嬉しかったですね。同じくらいのキャリアの騎手の中で勝てたのですから。

横川:その時岩手では、存廃論議で大もめの時期。ちょうど存廃の採決の日で、高知に行けなかったのを残念に思っていました。

山本:これも今だから言えますが、高知で悠里と"岩手の騎手としては最後の騎乗になるのかな......"なんて言いながら乗りました。岩手の情報は調教師が逐一伝えてくれて。自分が優勝したと伝えると喜んでもらえました。

横川:県議会の建物に関係者で詰めていて、暗いムードだった所に優勝の報が届いて皆喜んだね。

山本:中学校の時の先生が高知まで来て見ていてくれたんですよ。それも嬉しかったですね。

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横川:そんな聡哉騎手もいまやリーディング上位を争うようになりました。

山本:うーん。自分の腕にはまだそれほど自信がないですね。良い馬に乗せてもらえている、いろいろ恵まれている......そんな風には思いますけども。今年はデキ過ぎだと思っています。来年もこんなうまくいくとは思えない。調子が悪い時が来ても乗せてもらえるかどうか。乗せてもらえるように心がけていかないと。

横川:内田利雄騎手が、聡哉騎手の事を高く評価していましたよ。

山本:最初に来た頃からいろいろとアドバイスをもらっていたんですが、今年来た時には"自分からレースを動かす事も覚えていかないとね"という助言をいただきました。周りに合わせるだけじゃなくて自分でレースを作れ、と。これまで何年かにわたって、自分ができる事に合わせて徐々に助言のレベルも上がってきて、最後に一番大事な事を教えてもらえたんじゃないかと思います。

横川:ふむ。では来年もこんな活躍をするにはどうすればいいと思いますか。

山本:自分ががんばるのは当然として、周りとのコミュニケーションをきちんと取っていくのが大事かなと。

横川:それはどういう意図で?

山本:やっぱり競馬は自分だけの力でやっているものじゃないですから、関係者の皆さんと良い関係を作っていかないといけないと思っているんです。自分の最初の何年かの苦しい時期の事を考えてみると、例えば成績的に奮わなくても乗せてもらうには、普段から周りから好かれるような人間でないといけないんじゃないか。周りの関係者の皆さんと気持ちよく仕事ができる関係が作れていれば、自分が苦しい時でも周りに支えてもらえるんじゃないか? そんな風に思うんです。

横川:騎手として、人間性も重要だと?

山本:先輩たちを見ていても、いい成績を挙げている人たちは人間性の面でも優れている......と感じますね。自分もそうであろう、自分もそうなりたいと思っています。

横川:ちょっと珍しい考え方ですよね、騎手としては。

山本:よく言われます。"人間関係として見ているんだね"って。でも、自分にはすごく苦しい時期があったんで、そんな中でも雑に乗らない・苦しくても丁寧に人と人との関係をつくっていく。そう心がけようと考えたんです。きちんと土台を作らないと何かあった時に崩れるのも早いだろう。それが自分が苦しかった時期に行きついたひとつの答えですね。

横川:さて、聡哉騎手といえば三兄弟が騎手になっていますが、兄・政聡騎手は聡哉騎手にとってどんな存在ですか。

山本:最初にも話しましたが、小さい頃は兄の後ろをついていく弟だったんです。兄は昔からなんでもできて、何をするにも一緒で。そんな兄が騎手を目指したから自分も騎手になろうと思ったし、実は兄が競馬学校に入って半年ほど経った頃ですか、このまま続けるかどうか悩んでいた時期があって。兄が苦労したり悩んだりしているから"騎手って厳しいんだ"という心構えもできた。自分や弟は兄の切り開いた道を通る事ができたから良かったですね。兄弟で一番苦労したのは兄だと思います。

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兄・政聡騎手(右)と

横川:今年は兄をリスペクトする発言がよく出てきますよね。

山本:例えばダイヤモンドカップとか、ああいう思い切ったレースは兄にしかできない、自分にはできないと感じたんですよね。レースに関しての思い切りの良さは兄の方が上かなと。

横川:弟の聡紀騎手については?

山本:がんばってますよね。最初は兄と一緒にずいぶん心配したし、自分の経験からも"最初からうまくいく事はないんだぞ"とアドバイスしたりもしていたんですが、うまく周りと良い関係を作っているようです。あいつは世渡り上手なんですよ。もう大丈夫でしょう。だから最近はあまり細かい事は言わないようにしています。

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船橋からデビューした弟・聡紀騎手(写真は教養センター時代)

横川:いつか3人で戦う所を見たいですね。

山本:自分もやってみたいですね。去年あった"東北騎手招待レース"みたいなので弟を呼んでくれたらいいな。それぞれ性格も違うし、面白いレースになると思うんですよ。あの二人が真面目な顔してゲートに入っているのを見ると、自分は後ろで笑っちゃうかもしれませんね。なにか良い機会ができればいいですね。

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インタビュー中にも出てきたが、以前「テシオ」という雑誌を出していた時、兄の山本政聡騎手から読者ハガキをもらった事がある。「騎手に憧れていて......騎手を目指していて......」というような事を書いてあった様に思うが、まあ中学生くらいの読者のハガキにはよく書かれている話。熱心なファンがいるな、とは思ったが、それ以上は特に気にもとめずにいた。

それが、その政聡君からハガキが来なくなってしばらくして、政聡君の弟と名乗る聡哉君からハガキが届いた。「兄は騎手を目指して競馬学校に入りました。自分もいずれ騎手になろうと思っています」。驚いた事ったらなかった。

しばらくして聡哉君からもハガキが来なくなった。その頃には兄のデビューが間近で、兄の口から弟君も教養センターに入った事を教えてもらった。

もう10年ほど前の出来事だが、いまだに忘れられない。競馬ファンから騎手に......というある意味競馬ファン冥利に尽きる路線。騎手としては楽しい事ばかりではなかっただろうが、これからも兄弟の活躍を楽しみにしている。

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※インタビュー・写真 / 横川典視

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