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太田 陽子 騎手(岩手)

2013年12月05日

太田陽子騎手はオーストラリア・ヴィクトリア州にベースを置いて活躍している、いわゆる『外国で騎乗する日本人騎手』。その中でもかなり初期の一人だ。
今年9月に日本で騎乗する短期免許を取得、10月5日から岩手競馬で騎乗を開始して実質3週間で10勝を挙げる"太田旋風"を巻き起こし、一躍ファンの注目を集める存在になった。
実は10月26日のレース中に落馬・負傷して現在は治療休養中。免許期間を延長して復帰を目指している段階なのだが、その辺も含めてお話をうかがった。

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横川:太田さんは普通の家庭の出身と聞いたのですが、競馬や騎手に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

太田:小学生の頃、親に連れられて中京競馬場に行ったんですよ。ちょうどその頃、親が転勤で名古屋に移って、引っ越した先が競馬場の近くだったんですね。ちょうど競馬ブームの頃だし"じゃあ競馬というものを見てみるか"という事だったみたい。そこで見た騎手に憧れて......が最初ですね。競馬自体は、その頃はちょっと荒っぽいおじさんとかがあちこちにいて最初は怖かったんですけど(笑)、騎手はいいなと。

横川:そして高校では馬術部に入ったんですね。

太田:親からすれば私を試したんでしょうね。「本当に馬が好きなのか、馬の仕事でやっていけるのか、3年間考えてみなさい」と。それまでは馬に触った事もなかったわけですからね。鳴海高校の馬術部に入って初めて馬房の掃除をやったとき、「これだ!」って思ったんですよ。楽しくてしょうがなかった。この世の中にこんな楽しい事があっていいんだろうか?って。馬術部の練習を中京競馬場でやっていたんですよ。練習の後にコースを見せてもらったことがあって、コースからスタンドを見上げた時、「こんな凄い所で走れるのか」と感動したのを覚えていますね。

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岩手での初騎乗はやや緊張気味(10月3日・盛岡第5レース)

横川:オーストラリアで騎手になろうと決意したのはその頃ですか?

太田:当時は自分も親も競馬の事に詳しくないですから、騎手になるにはJRAや地方競馬の競馬学校に入らないといけない......くらいは知っていましたが、どっちがどうとかよく分かってなかったんですね。その頃の自分はちょっと体重が重くなりそうな感じがあったんです。今から思えば、少し様子を見ながら、体重を調節しながら合格を目指す......という方向もあったかも。でも当時は良く知らなかったから、"じゃあオーストラリアで騎手を目指そう"みたいな。

横川:と、さらっと言いますが、当時(90年代後半)はオーストラリアで騎手に......という情報も今ほどには豊富じゃなかったですよね。

太田:これも今から思うと不思議なんですけど、何かのきっかけでそういう情報に気付いたんですね。好きな事とか関心がある事ってどんなに小さい記事でも目が惹かれるじゃないですか。"オーストラリア・騎手"という情報に、何かひっかかるものがあった。"海外で騎手か。英語も苦手だけど、まとめて挑戦してみよう"そんな風に思ったんですね。

横川:そしてクイーンズランド州の養成学校に入った。学校ではスムーズに進んでいったんですか? 騎乗の授業とか。

太田:学校に入って1週間目くらいかな、学校の近くにある調教場で朝の調教を見ていたんです。日本人の先輩たちは学校以外にも厩舎で働いたりして覚えていると聞いたから、自分もどこかの厩舎に見つけてもらおうと思ってうろうろしていた。すると、あるトレーナーさんから声をかけられた。「働きたいなら厩舎に来な」って。それっぽい事を言っていた......と思うんですよ。その頃は英語全然分からないから(笑)。それから毎日、厩務員さんに仕事や英語を手取り足取り教えてもらいながら覚えていった。

横川:学校の授業以外にもそうやって仕事をしていたんですね。

太田:むしろそれが普通でしたね。他の生徒もそうだったし。本当にいろいろ教えてもらえました。しばらくそこで働いて、その後は調教に乗せてもらえる所に移ったりして。もちろんそれは無給ですよ。でも学校の勉強だけじゃなくて厩舎で実際に働きながら覚える事ができたのが、今にして思えば大きかったですね。

横川:学校は1年間だったんですか?

太田:初級コースが1年、その後に上級コースが半年ですね。その後にジョッキーコースの授業が4ヶ月くらい。そこで3人だけ残りました。私と、富沢希君と、それから池主貴秀君。ジョッキーコースに入ると競走馬を1人1頭与えられるんです。それを全部自分の判断で世話して、調教して、トライアルレースをする。2回やって2回とも2着でしたが面白かった!

横川:そこからアプレンティス、見習い騎手になっていくわけですね。

太田:卒業の時に校長に言われたんですよ。「ヨーコ、君の身体は騎手には向いてないから止めた方がいい」って。体重が重いだろう、という事なんですが、今さらそんな事で止めるくらいなら最初からオーストラリアに行ってないですよね。だから"諦めないでやります"と。そしてサンシャインコーストに行って騎乗をはじめました。
これも今にして思えば自分の決心を確かめられたのかもしれない。でも自分は、あそこで諦めなかったし、そこで言われたように体重が重いからって辞めるような騎手にはならない、と心に決めた。それが今まで続けて来れた原動力かもしれません。

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10月6日・盛岡第3レース、岩手4戦目での初勝利

横川:日本、岩手で乗る事になったいきさつはもうあちこちにでているから、そうですね、10勝できたのをどう思いますか?っていう質問で。

太田:これはもう予想以上ですよ。オーストラリアでやって来た事を全部ぶつけてやってみる。それで0勝で終わっても仕方がないと思っていましたから。

横川:最初は乗り方とかレースの流れとかにちょっと戸惑っていた感じですが、すぐに慣れましたしね。こっちの騎手たちも最初は「?」だったようですが、徐々に見る目が変わりました。山本聡哉騎手なんか、太田さんをすごく高く評価してて、レースで太田さんをマークしたり潰しに行ったりし始めましたからね。

太田:最初は「ここで動かないの?」「え〜?ここで動くの!?」って戸惑いながらでしたね。他の騎手の皆さんにはいろいろ教えてもらって、もちろん菅原右吉先生にもいろいろと面倒を見ていただいて良い馬も乗せてもらっています。そのおかげですよ。

横川:ところで怪我の具合はどうなんでしょうか?

太田:最初の検査で見つかっていた骨折はもうだいたい良くなったんですが、実は最近になって別の剥離骨折があったことが分かったんですね。そこが、気付かなかった分ちょっと治りが遅くて。だから、免許の期間を延長しましたが、騎乗できるかどうかギリギリなんです。

横川:最初の活躍は盛岡のファンに強い印象を残したし、水沢のファンにもぜひ一度見ていただきたいとは思うんですよね。

太田:私も水沢の、日本の地方競馬らしい小さいコースのレースを経験したいし、もちろん実戦に乗ってこその騎手ですから1日も早くレースに乗りたいと思うんです。
一方で「騎手なら万全の状態で乗るべきだ」「しっかり直してまた来年来れば......」とも言われて、それもその通りなんですね。でも今回のようなチャンスを逃すと次また巡ってくるとは限らないじゃないですか。今回も本当にいろいろな方にお世話になって実現した事ですから、また次もこんな風にうまく進むとは思えない。もしかしたら一生に一度だけのチャンスかも......と思うとね、手放したくないと思っちゃうんですよ。
ここ何日かのうちにじっくり考えてみて、無理だという結論になれば潔く帰って、また出直して来ようと思っています。

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太田騎手の免許期間は12月16日まで。実戦に復帰することを思えばそれほどの余裕はなく、そこが太田騎手の悩み所になっているようだ。
なんとか1レースだけでも水沢のファンの前で騎乗ぶりを見てもらいたい......とは自分も同じ気持ちだが、ただ乗るだけで気が済むような太田騎手ではないのも確か。
このインタビューが掲載される時には、もしかすると期間切り上げ・帰国ということになっているかもしれないが、その時はいつかまた太田騎手の"ミラクル騎乗"を見ることができる日を、ファンの皆さんにも待っていていただきたいと思う。

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※インタビュー・写真 / 横川典視

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