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菅原 辰徳 騎手(岩手)

2019年08月02日

菅原辰徳騎手は2010年にデビューして今年で10シーズン目を迎える。若手というよりはもう中堅どころになった今年はリーディングでもTOP5に入る活躍を見せている。ここに初登場の菅原辰徳騎手に、改めてデビューからこれまでを振り返ってもらった。

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実は菅原辰徳騎手にこのインタビューをお願いするのは初めてだということなので、改めて騎手を目指した理由などからお話を聞かせて下さい。

そうですね、小さい頃から父によく水沢競馬場に連れきてもらっていたので、そこで競馬を見てるうちに"騎手ってかっこいいな"と思って。体が小さかったこともあって、将来は騎手になりたいなあ......と思うようになりました。
父が凄く競馬好きで、土日はもうずっとグリーンチャンネルを見ているような家庭でした。自分もテレビで競馬を見ているのが好きだったし、水沢競馬場や盛岡競馬場に連れて行ってもらうのがすごく楽しみでした。まあ家族揃って競馬好きでしたね。

とはいえ競馬の世界には特に関係がなかったわけでしょう?それでも、ゼロから始めて騎手になろうと思った?

そうですね、馬には全く触った事がなかったですね。それでも騎手になりたいと思って。いざ受かったらすぐに辞めたくなりました。教養センターに入って本当に初めて馬に乗ったり触ったりしましたから、乗るのもそうだけど、とにかく馬に触るのが怖かったです。

じゃあ、教養センターの2年間は結構大変な日々だった?

何をするにしてもみんなの足を引っ張っていて、追いつこうと思っても追いつけないし。とにかく自分だけ遅れているのが分かっていたので、なんとかとにかく追いつきたいとだけ思ってやっていた2年間でしたが、結局全く追いつけないまま卒業でしたね。技能審査っていう試験があるんですけど4回中3回落ちるし、障害の試験をすれば経路も覚えれないし......。

そうは言っても、今でこそ競馬に関係がない生徒が増えたけど、菅原辰徳騎手の頃は競馬関係から来た生徒が多かったでしょう?むしろよくやり通したよね。

両親に「帰ってきてもお前のいる場所はない」って言われていましたから(苦笑)。まあ、自分で行きたいって言って行かせてもらったから、とにかく頑張って騎手になるしかないなと思って必死でしたね。

教養センターに入った頃って、岩手競馬がすごく危ない時期だったじゃないですか。それでも岩手だったんだ

教養センターの先生からも「岩手は正直お勧めしないよ」って言われたりもしたんですけど、やっぱり自分は水沢競馬に憧れて騎手を目指したんで、水沢でデビューしたかった。例えそれでもやっぱり水沢に行きたいです、って押し切っちゃいました。

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初勝利は2010年5月24日盛岡第3レース

そして騎手になったのが2010年。その1年目の事は覚えていますか?

もう全部覚えていますよ。とにかく周りの人に迷惑しかかけてなかったです。落馬事故も起こしてしまったし。普通に1周回って来る事ができてなかった。
デビュー戦の時はムチを一発も叩けなかったですから。天気が悪かったのもあって前が見えない、どこを走っていいかわからない。ムチは入れられないし、馬があっちこっち走ってもう最低でした。

1年目は3勝でしたが、次の年はぐっと増えたよね。

20勝させてもらいました。

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地方通算100勝は5年目、2014年6月7日盛岡第5レース

そこからだんだん増えて、去年などは73勝になりました。

それはやっぱり、周りの皆さんがたくさん乗せてくれるから。自分はただ真っ直ぐ、ちゃんとまっすぐ1周乗ってこようと気をつけるだけです。

今年でデビューから10シーズン目なんですけど、自分から見て変わってきたとか、ちょっとは良くなったな、とか感じるところは何かありますか?

正直今でもレースでは緊張します。スタート前のゲート裏とか馬より自分がドキドキしていると思いますよ。成長してないなって思うんですけど、周りの皆さんが支えてくれて。皆さんのおかげでそうやって成績が上がったんだと思うんですよね。僕自身はまだまだ変わった手応えは何もないですね。

じゃあ逆に、どういうレースができたら"変わった"という事になる?

そうですね、しっかりゲートを切ることでしょうかね。まずスタート。良いスタートができてしっかり1周回ってきたら、でしょうか。

今は自厩舎だけじゃなく、例えば盛岡の厩舎からも騎乗依頼があったりするでしょう?そういうところは変わってきた点じゃないかな

ひとつでも多くのレースに乗せてもらえることは嬉しいことで、本当にありがたいですね。とにかくたくさん乗りたいので、もっとたくさん依頼されるジョッキーになりたいです。でも、たくさん乗りたいからと言って自厩舎の馬の調教をおろそかにするわけにはいかないですから、しっかり自分の厩舎で仕事をして、時間がある時は積極的に他の厩舎の調教も手伝おう、と心がけています。

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サンエイジャック新馬戦優勝時(2016年6月18日)

話を変えて、ここ2、3年で自分が一番記憶に残っているレースを挙げるとすると何ですか。

2つあります。サンエイジャックの新馬戦とサンエイキャピタルのウイナーカップです。
サンエイジャックはゲート試験で1回落ちているんです。そうしたら新馬戦では一番いいスタートを切って逃げ切った。やっぱり2歳新馬戦というのは難しいし、思い通りにはならないなというのが印象的でした。

サンエイキャピタルは分かる。あの馬は凄いものね。

キャピタルのウイナーカップは新馬戦以来の実戦で、みんな半信半疑だったと思うんです。それがデビューから2戦目で重賞を勝ってしまった。びっくりだったし嬉しかったです。

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サンエイキャピタル・ウイナーカップ優勝時(2018年6月24日)

ではこれからの目標を挙げてもらうとすると。

馬主さん、調教師さん、厩務員さんに、誰を乗せるってなった時にどんな状況でもいいので"辰徳"って言ってもらえるような騎手に。1人目、いや2人目でもいいです。そこで名前が挙がる騎手になりたいです。

もうひとつ。今年はリーディングでもいい位置にいますが、今年のこの先の目標は?

こんなに勝たせてもらっているのは皆さんのおかげ。何位とかじゃなく、1レース1レースしっかりとしたレースをしていくのが目標ですね。与えられてもらったチャンスを活かして自分の役目をしっかり果たしていきたいです。

では最後に、オッズパークの会員のみなさんに一言を。

競馬を楽しんでいるファンの皆さんに一人でも多く"菅原辰徳"という騎手を覚えてもらえれば嬉しいです。頑張りますので応援してください。

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教養センターに入る頃には岩手競馬の廃止問題にぶつかり、デビューした翌年には東日本大震災にも遭い、と多難な時期を乗り越えながら、菅原辰徳騎手は騎手として逞しく成長してきたように感じる。今の彼ならもう一段階上の活躍を期待しても良いだろう。この先の更なる成長を楽しみにしたい。

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※インタビュー・写真 / 横川典視

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