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藤ケ崎 一男 調教師(名古屋)

2023年12月14日

10月5日名古屋第8レースで地方通算2600勝を達成した藤ケ崎一男調教師(名古屋)。84歳の今も現役バリバリで活躍し、調教師会長も務めます。調教師として東海ダービー(東海優駿)を勝った思い出の地・土古(どんこ)から弥富に競馬場が移転して1年半。いまの思いを伺いました。

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地方通算2600勝おめでとうございます。名古屋競馬の調教師では現役2位の勝ち星です。

長くやっとりゃあね(笑)。調教師では私が一番長いもん。あのレースが2600勝だったことは何も知らなくて、ゴール後の実況で聞いて知りました。

元々は騎手でした。競馬との出会いは?

川崎市の小向に家があったんだけど、小学校5年生のときに川崎競馬場のトレーニングセンターが家から100mぐらいの所にできたんです。1年くらい経ってからちょいちょい出入りするようになってね。親が堅かったもんで、中学校を卒業して就職試験を受けて、1日は会社に行ったんだけど、2日目からもう行かないで、弁当を持って出て厩舎に行っていたんです。3日目ぐらいに親父に言ったらどえらい怒ったもんで家を飛び出して、2年間は帰らなかったかな。だけど、ちょいちょい顔は見るんだ。昔は銭湯だもんで、そこで会うんだけど会話はなくて、親父が右におれば俺は左って具合でした。

家を飛び出してまで馬の仕事をしたかったんですね。何がそこまで惹きつけたんですか?

日曜日も川崎競馬は開催しとったもんで、休みの日に競馬場に連れて行ってくれたんです。そうすると騎手がさ、赤い服着たり白い服を着て、音楽に合わせて出てくるでしょう。一種の憧れだな。自分も騎手になりたいなって。体もちょうど小さかったですからね。

調教師になってからは76年東海優駿をケイウンザンで勝つなど活躍しました。

昔は中京競馬場でも地方競馬の開催をしとって、ケイウンザンは中京で勝ったんです。あの時、本命のグリグリの馬がおったんだけど、芝のレースだったもんでうちの馬が芝が合ったんじゃないかな。そんなに印がなかったけど、勝てました。もう1頭、ホウライミサイルで勝った(06年東海ダービー)時は旧名古屋競馬場でした。

その旧名古屋競馬場は土古(どんこ)の愛称で親しまれました。藤ケ崎調教師も色んな思い出があるのでは?

独特の競馬場でちょっと小回りだし、ある程度先行できなきゃ出世しなかったですね。

弥富トレセンのある現在の地に移転してきて、レースも変わりましたね。

やっぱり直線が伸びたからね。土古で「勝負アリ」というとこから、新競馬場ではもうひと勝負があるもんね。

思い出の詰まった土古を離れるのは、寂しさもあったのでは?

私もあそこで馬に乗っとったし、昭和46(1971)年に調教師になってからずっと過ごしていたから、やっぱり寂しいは寂しいね。

一方で、新競馬場は厩舎地区に隣接しているため、馬にとっては輸送がなくなるなど、メリットもありそうです。

うんと違うね。馬は輸送がない分、消耗も少ないし、人間も本当に楽。以前と比べたら雲泥の差だね。調教師は臨場の義務があるので、発走の50分前までには競馬場に行かないといけないけど、今は厩舎から自転車で5分もあれば来れるからね。今日は3レースの出走の後は7レースの装鞍まで約1時間10分、開いていて一旦厩舎に帰ることができます。土古だと厩舎まで行って帰ってくるだけで1時間以上かかっていたからね。主催者はファン向けに無料バスを出していて、結構お客さんがたくさん乗ってくるみたいだね。こっちに競馬場が移転してナイターも始めて、若い人が増えたね。私も年寄りだけど、土古の頃は年寄りばっかだったもんで、将来のことを考えるとやっぱり若い人が増えないと、と思います。

調教師人生を振り返って、いかがですか?

好きなことをずっとやってきて、84歳になってまだやっとられるってことは幸せな人生。何の悔いもないです。もう年だから「辞めたいな......」って思う時もあるんだけど、2年前におっ母ぁ(妻)が死んじゃって、自宅に帰っても近所付き合いが全然なくてひと言も喋る人がいないんです。危険の多い仕事で、ずっと厩舎にいたからね。

厩舎が藤ケ崎調教師の居場所ですね。

全休日の前の日だけ自宅に帰って、次の日の夜からは厩舎でずっと寝泊まりしているからね。若い人が怪我したら救急車に一緒に乗ったり、病院について行ったりしてやらんといかんからね。

じゃあ、まだまだ10年20年と調教師として厩舎にいないと、ですね。

そんなん言われても、死んじゃうわ(苦笑)。騎手時代は汗取りして開催日には12キロくらい体重を落としていたから長くは続けられなくて、引退した時は63キロになったけど、いまはお腹いっぱい食べても51キロ(笑)。騎手の時に作った背広が今でも着られるんだ。

健康には気をつけて、長く活躍していただきたいと思います。最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。

いまはネット時代で、オッズパークを通じて馬券を買っていただき、ありがとうございます。競馬場は小ぢんまりしましたけど、ナイター開催を始めて、遅い時間帯からお客さんが結構来るようにもなりました。また競馬場にも足を運んで応援してもらえたら、嬉しいです。

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※インタビュー・写真 / 大恵陽子

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